今日は羊水塞栓症について説明します。
実は私もまだ経験したことがありません。産婦人科医が一生のうち1例当たるか当たらないか程度の稀な疾患ではありますが、発症すると一気に天国から地獄に突き落とされる非常に深刻な疾患です。
何より母体死亡率が非常に高い。
元日に挙げる記事が何が良いか悩んだのち、私が1番恐れている疾患を選択してみました。改めて、出産って本当に奇跡だなと感じます。
目次
1. 羊水塞栓症は妊産婦死亡率が高い
以前、産科の緊急疾患として常位胎盤早期剥離・出血を伴う前置胎盤・子癇発作についての記事を書きました。
これらももちろん、危険でリスクの高い疾患です。しかし、羊水塞栓症は更にその上をいきます。急激に発症する極めてまれな疾患で、日本でも妊産婦死亡の大きな原因の1つになっているのです。
2010〜2013年の妊産婦死亡146例のうち、19例が羊水塞栓症によるものです。
- 産科危機的出血(22%)
- 脳血管障害(14%)
- 羊水塞栓症(12%)
※妊産婦死亡報告事業, 日本産婦人科医会, 2014
発症頻度が低いのにこれだけたくさんの症例があるということは、母体死亡率がいかに高いかということが分かるかと思います。
報告によって様々ですが、母体死亡率は37〜80%に及ぶと言われています。
2. 羊水塞栓症って何?
羊水塞栓症は、母体の血液の中に「羊水」や「胎児成分」が流入することによって引き起こされる疾患です。
羊水塞栓症の特徴は突然発症し、急速に重篤な経過をたどる点にあります。発症時期は分娩後期〜分娩直後で、下記のような病態を呈します。
- 肺毛細血管の閉塞→肺高血圧症→呼吸循環障害
- 播種性血管内凝固(DIC)
羊水中の組織因子が、子宮の筋肉の裂け目や子宮内腔に露出した血管から母体循環に流入すると、直接的に妊産婦さんの凝固因子の反応経路を活性化します。そしてフィブリノゲンという血液を固める因子が消費され、DICに至り、出血が止まらなくなります。
また、妊産婦にとって異物として捉えられる羊水中の組織因子は、免疫の過剰反応を惹起し、急激に血管透過性を亢進させます。これによって肺水腫や弛緩出血などを生じ、血管も虚脱するため血圧が一気に下がってしまうのです。
3. 臨床症状
- 突然のあえぎ呼吸・呼吸不全、低酸素血症
- 急激な血圧低下または心停止
- 痙攣発作
- 産道からの多量出血
- DIC
- 胎児機能不全
上記症状が分娩中・帝王切開時・分娩後30分以内に出現し、他の疾患で説明できない。
典型例では突然あえぐような呼吸が始まり、痙攣発作や心肺停止に至り、DICになって大量の異常出血を認めます。
症状の出現率は、
- 低血圧(100%)
- 胎児機能不全(100%)
- 肺水腫または急性呼吸促迫症候群(93%)
- 心肺停止(87%)
- チアノーゼ(83%)
- DIC(83%)
- 呼吸困難(49%)
- 痙攣(48%)
- 弛緩出血(23%)
です。突然の呼吸症状・血圧低下を認めたら羊水塞栓症を疑います。
痙攣も半数程度で認められるため、子癇発作の際に羊水塞栓症が鑑別に挙がっていたことを併せて確認すると理解が深まるかと思います。
4. 羊水塞栓症の2タイプ
羊水塞栓症には、「心肺虚脱型」と「子宮型(DIC先行型)」があります。
1. 心肺虚脱型羊水塞栓症
別名、「古典的羊水塞栓症」と言われます。
胸痛・呼吸苦・呼吸不全・意識消失が先行するタイプです。
突然息苦しくなって意識を消失し、分娩前であれば原因不明の胎児機能不全などが生じます。その後、発症から短時間で呼吸不全・心停止を生じることがある激烈な病型です。
重症DICに至っていることも多いのですが、血管が虚脱しているため、最初は明らかな出血症状は見られないこともあります。子宮からの出血量が少ないからといって、安心してはいけません。
治療によって血管循環が回復してくると、突然大量の出血を発症したりするのです。
2. 子宮型(DIC先行型)羊水塞栓症
こちらは古典的羊水塞栓症とは対照的に、DIC・弛緩出血を主症状とするタイプです。
胎盤が娩出された後、サラサラとした出血がどんどん出てきて止まらず、子宮も十分な収縮が出来ていない状況に至ります。
子宮収縮薬をどんどん投与しても全く反応しない重症の弛緩出血があり、DICに至るそれ以外の要因(常位胎盤早期剥離など)がない場合、子宮型塞栓症を疑うのです。
出血量に一致しない重篤なDICに至っていることが多く、フィブリノゲンも消費されてかなり低値になっています。
ごく短時間で出血多量による血圧低下・意識消失・心肺停止などを呈するので、早期の治療介入が必要です。
今まで「弛緩出血」だと考えられていた症例の中に、「子宮型羊水塞栓症」が含まれているのではないかという指摘があります。もしかしたら羊水塞栓症の発症頻度は報告よりも高いのかもしれません。
5. 臨床的羊水塞栓症の診断基準
羊水塞栓症の診断は、実際に病理学的に肺の血管の中に羊水や胎児成分があるかどうかを確かめることによって診断します。
しかしこれは、母体死亡に至って剖検した症例でしか分かりません。
臨床的には、次の診断基準が用いられます。
- 下記の②かつ③が妊娠中または分娩後12時間以内に発症した場合
- 下記に示した症状・疾患(1つまたはそれ以上でも可)に対して集中的な医学治療が行われた場合
A:心停止
B:分娩後2時間以内の原因不明の大量出血(1500mL以上)
C:DIC
D:呼吸不全 - 観察された所見や症状が他の疾患で説明できない場合
以上、①②③を全て満たすものを臨床的羊水塞栓症と診断する
上記を用いながら、早期に介入を行う必要があります。
また重篤なDICに至っていることが多いため、身体の中で血液を固めたり溶かしたりするバランスが崩れ、フィブリノゲンの値が消費性にかなり低下することが知られています。
羊水塞栓症と他の疾患を鑑別するにあたり、フィブリノゲン値が132mg/dL以下なら、羊水塞栓症の可能性が高いという指標も有用です。
血清マーカーとしては、
- 亜鉛コプロポルフィリン(ZnCP1)、ムチン(STN)↑:羊水や胎便中に多く含まれる
- C3・C4↓
- C1インヒビター↓
が挙げられますが、これらは結果が出るまで時間がかかるので、症例が羊水塞栓症だったのか否かを事後に確かめる目的でしか使用できません。
6. 羊水塞栓症になった時の対応は?
まずは呼吸・循環動態を確保するために初期対応を行いながら、できる限りのスタッフを集めます。
産婦人科医だけではなく、全身管理を日常的に行っている「救急科」「麻酔科医」などのスタッフにも応援を要請します。
もし総合病院ではなく、自院での対応が難しいと判断した場合は、一刻も早く母体搬送を行わなければなりません。
1. 心肺虚脱型羊水塞栓症の対応は?
まずは妊産婦の心肺蘇生が第1です。
基本的に妊産婦さんにも一般成人と同様の蘇生処置(BLS)を施行し、胸骨圧迫と人工呼吸を行います。
分娩前であれば子宮を左方に押し、必要に応じてAEDも使用します。
高次施設ではさらに高度な治療を行いながら、自己心拍が再開しない場合は死戦期帝王切開(心肺停止状態での帝王切開)を考慮します。
他疾患と比較して桁違いに多い、大量の輸血やDIC治療薬を用いながら、なんとか救命に努めるのです。
2. 子宮型羊水塞栓症の対応は?
まずフィブリノゲンの値を確認します。ほとんどが150mg/dL未満であるため、初期からフィブリノゲン製剤を含む積極的な輸血管理が求められます。
輸血でDICが治らなかった場合、救命目的の子宮動脈塞栓術や子宮全摘術が必要になることもあります。
3. その後の対応
マンパワーを確保し、あるだけの医療資源を注ぎ込んで治療に努める羊水塞栓症。しかし、どんな治療法が母体や赤ちゃんの予後を有意に改善するかについてはまだ明らかになっていません。
いずれにしても、母体死亡が発生してしまった際は、死因救命目的に病理解剖を行います。そして何より、天国から地獄に突き落とされたご遺族への配慮が重要です。
いかがだったでしょうか。産婦人科医が1番恐れている疾患としても過言ではない羊水塞栓症。1分1秒をかけて対応しても、結果が伴わずに母体が死亡してしまう可能性も高い疾患です。
だからこそ、出産後も気が引けません。
赤ちゃんが生まれ、会陰を縫合している時なども母体の症状や出血量などを見て、少しでも怪しいと思ったらモニターでフォローしています。
どうか今年も、多くの赤ちゃんが幸せな家庭のもとに元気に産まれてきてくれますように。2021年もゆきぞらブログを宜しくお願い致します。
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こんにちは、ゆきです。産婦人科医として働いています。