日本の妊産婦死亡数は、1950年に4000人以上であったところ、2010年以降は40人程度と1/100に減少しています。これは日本の周産期医療の発展に伴うものですが、やはり未だに年間40人の妊産婦さんが亡くなっている事実は受け止めなければなりません。
この妊産婦死亡の原因のうち、最も多いのが今回扱う「産科危機的出血」になります。産科危機的出血はどんな人にも起き得ます。冗談抜きで分娩室や手術室が血液で真っ赤に染まることもあります。
だからこそ、その産科危機的出血を起こさないよう、起きた場合は少しでも出血量が減らせるよう、私たち産婦人科医はお産後に色々な介入を行っているのです。今後分娩を控える全ての人に関わる記事だと思うので、少しでも知ってもらえれば嬉しいです。
目次
1. 産後の異常出血って?
50kgの成人の循環血液量は約4000mLです。しかし妊娠すると、胎盤を介して赤ちゃんに血液を送るため、7000mL程度まで増加します(30〜40%増)。
そのため妊婦さんは、普段よりも出血への耐性が強くなっているわけですが、ある一定のレベルを超えると一気に血圧や脈拍に異常をきたす危機的状態になります。
私の場合は、分娩中の出血量を次のような感覚で対応しています。
産科ガイドライン2020にも、「経腟分娩で500mL、帝王切開で1000mLを超えてなお活動性の出血がある場合が”先手を打つ”目安」であると示されています。これらの出血量を超えてくると、血圧が下がり、脈拍が上がってくることが多いので、モニターをつけ、ショックインデックスを計算しながら対応します。
ショックインデックスは産科危機的出血を語る上で欠かせないものです。血圧と脈拍をもとにした式で求められ、「脈拍と上の血圧(収縮期血圧)を比べて、脈拍の方が高かったらヤバい」と判断します。
[血圧100/60mmHg・脈拍60(SI=0.6)]の人と、[血圧100/60mmHg・脈拍120(SI=1.2)]の人では全く対応が変わるのです。
2. 産科危機的出血への対応指針
「産科危機的出血への対応指針」というものがありますので、ポイントを簡単に説明します。ショックインデックスが1.5以上になるなど、1分1秒を争う事態を「産科危機的出血」と言います。産婦人科のコードブルーのようなものです。
1. リスク評価
まず、そろそろ分娩になるだろう妊婦さんが、異常出血を起こすリスクが高いか低いかを評価します。具体的なリスク因子は下記の通りです。
- 初産婦
- 肥満
- 巨大児
- 多胎(双子や三つ子など)
- 羊水が多い
- 分娩時間が長いor短い
- 誘発・促進をしている
- 器械分娩
- 妊娠高血圧症候群
- 胎盤の位置が低い
- 早産
- 子宮筋腫 など
基本的にお産が終わると、子宮は速やかに収縮して小さくなります。それによって血管が潰され、出血が止まるという機序です。つまり、子宮収縮が何らかの原因によって妨げられると出血が増えるのです。
例えば、
・子宮筋が引き伸ばされてうまく収縮できない:羊水過多・多胎
・子宮が疲れちゃってうまく収縮できない:分娩遷延
・分娩が終わったことに気づかず収縮しない:短時間分娩、器械分娩
・邪魔なものがあってうまく収縮できない:子宮筋腫
などなど。
リスクが高い場合は、高次施設での分娩を推奨したり、自己血を貯血しておりたりすることもあります。
2. ショックインデックス(SI)
ショックインデックス=脈拍数÷収縮期血圧でした。これによって、出血量をある程度予測できます。
- SI=1.0以上
経腟分娩1000mL, 帝王切開2000mL 以上 - SI=1.5以上
経腟分娩2500mL, 帝王切開4000mL 以上
対応指針でも、ショックインデックスが1以上だったら、1.5以上だったら…とフローチャートとして示されています。出血を細かくカウントすることが厳しい状況下では、非常に有効な目安になるのです。さらにリアルタイムで変化が確認できるので、今行っている治療が有効なのか否かを判断することもできます。
ショックインデックスが1以上であれば必要な治療介入を行って輸血の準備をし、1.5以上になったら周りのスタッフをかき集めて救命に努めます。
3. 産科DICスコア
DIC(播種性血管内凝固症候群)というのは、身体の中の血液を固めたり溶かしたりするバランスが崩れた状態を言います。
人間の身体ってとてもよく出来ていて、例えば転んで擦りむいた時、通常なら”かさぶた”が出来て出血も止まりますよね。しかしその機構が崩れてしまうDICの場合は、ずっとサラサラとした出血が続き、止まらなくなってしまうのです。
DICを発症する原因には様々あるのですが、特に産科DICは急激に悪化するため、迅速に診断・治療を行わないと母体の生命に危険が及ぶ特徴があります。
次に示す産科DICスコアをもとに点数付けし、8点以上ならDICの治療を開始することが推奨されています。
産科DICスコアには、基礎疾患として常位胎盤早期剥離(早剥)や子癇発作なども入っています。これらは別途まとめているので、よければ見てみて下さい。
3. 出血の原因となる4つの”T”
Advanced Life Support in Obstetrics(ALSO)という、周産期救急に効果的に対処できる知識や能力を鍛える教育コースがあります。このALSOでは、産科危機的出血が発症した際、原因を4つのTとして連想するよう説明されます。
- Tone:筋緊張
- Trauma:外傷
- Tissue:組織
- Thrombin:トロンビン
1. 筋緊張(Tone)=柔らかい子宮
いわゆる「弛緩出血」です。胎児・胎盤が娩出した後に子宮の筋肉が良好に収縮せず、大出血をきたす病態です。本来であれば子宮は速やかに収縮し、血管を潰して止血を図ろうとします。上手く収縮できれば子宮は縮んでコリコリになるのですが、弛緩出血の場合フニャフニャです。
出血の原因として最も多く、70%を占めます。子宮収縮薬や子宮内バルーン留置など、子宮を収縮・圧迫させる処置で対応します。
2. 外傷(Trauma)=産道裂傷、子宮内反症
外傷(Trauma)の原因にはいくつかあります。
例えば子宮の出入り口の裂傷(頚管裂傷)・腟壁の裂傷や血腫・子宮破裂・子宮内反症など。頻度は2番目に多く、20%程度です。裂傷を縫合したり、血腫をドレナージしたり、子宮の内反を徒手整復して対応します。
上のイラストは「子宮内反症」です。簡単に言えば、子宮がひっくり返って出てくる疾患。発症頻度は稀ですが、迅速に対応しないとその間にどんどん出血が増えてしまいます。腟内に手を突っ込んで押し戻しますが、うまく戻らない場合は全身麻酔下に筋肉を弛緩させて行う場合があります。
3. 組織(Tissue)=胎盤遺残
Tissueの原因は胎盤の一部が子宮の中に残ってしまい、子宮の収縮不全をきたす「胎盤遺残」「卵膜遺残」です。頻度は10%程度。
胎盤が残っていないかを検索したり、剥がれにくい胎盤があったら用手的に剥離したり、場合によっては器械を用いて子宮の中をそっと搔爬する処置を行います。
4. トロンビン(Thrombin)
1%程度は、血液を固める凝固因子が不足することによって起こる凝固異常です。妊娠高血圧症候群・HELLP症候群・DICなどがこれに当たります。
疑わしい時は採血で評価します。
4. 異常出血時の対応
お産は必ず出血します。その出血量は個々の子宮収縮や凝固能、創部の状態などによって変化するため、完全な予測は出来ません。
そのため、出血量が多くなりそうと判断した時点で先手を打った対処を行うことが重要になります。
1. 子宮収縮薬・輪状マッサージ・臍帯牽引
赤ちゃんが生まれてから胎盤が娩出するまでの期間を分娩第3期と言います。この時間が長いと出血量の増加につながるので、分娩第3期に”3つ”の積極的管理を行うことが推奨されています。
まず1つ目は「子宮収縮薬」です。弛緩出血の治療として点滴で投与します。日本での第1選択薬はオキシトシン(アトニン®︎)で、ガイドラインでも積極的に投与することが勧められています。
オキシトシンと併用してメチルエルゴメトリン(パルタン®︎)を投与することもありますが、こちらは血圧が高い妊婦さんには使用できません。
2つ目が「子宮底輪状マッサージ」です。妊婦さんのお腹越しに子宮を触り、コリコリに触れたら正常。フニャフニャだったら子宮が緩いサインです。そんな時に妊婦さんのお腹に手を当て、円を描くように子宮をマッサージすると、子宮の筋肉の収縮を促すことができます。お産後に産婦人科医や助産師さんがお腹を撫でているのはそんな理由です。
3つ目は「適切にへその緒を牽引すること」。胎盤がいつまでも子宮の中に残っていると、出血量は増えてしまいます。30分以内の胎盤娩出を目指し、へその緒(臍帯)に適切な牽引力をかけながら、胎盤を引っ張り出します。
しかしこの牽引が強すぎたり、誤った方向だったりすると、子宮内反や臍帯断裂を招いたりするため、あくまでも愛護的な処置が求められます。
2. 創部縫合
分娩時に会陰・子宮頚管・腟壁などに裂傷を生じることはよくあります。普通に縫合できる範囲であれば問題ないのですが、その傷が大きかったり、血腫を形成していたりすると血圧や脈拍に異常をきたす大出血につながることもあります。
基本的にはしっかりと丁寧に縫合することが大切です。場合によっては手術室で血腫のドレナージ術や縫合術を行うこともあります。
3. 双手圧迫
前述した4つはほとんどの妊婦さんで行う処置ですが、これ以降は出血量が多かった場合の対応になります。
出血量が多く弛緩出血が疑われる時は、直ちに双手圧迫を行います。双手圧迫とは、イラストのように左手を腟内に入れ、右手で子宮を立てるようにし、両手で子宮を挟んで圧迫する処置です。
子宮がうまく収縮してくれない間の時間稼ぎとして、産婦人科医の手で目一杯圧迫して止血を図ります。
4. 子宮腔内バルーンタンポナーデ
双手圧迫は”外”から子宮を圧迫する処置でしたが、バルーンタンポナーデは、”中”から子宮を圧迫する処置です。
バルーンを子宮内に挿入し、水を入れて膨らませて圧迫します。私たち産婦人科医がよく使う商品がBakriバルーン®︎やAtom子宮止血バルーン®︎なので、バクリとかアトムとか言っています。バルーンの代わりに、ガーゼをつめて代用することもあります。
5. 輸血・DIC治療
出血量がある一定を超えると、身体の血液のバランスが崩れます。血液を固める因子が消費されて少なくなり、サラサラになって止血が困難になるのです。サラサラな血液は、いくら圧迫しても止まりません。そのため、必要時は輸血やDIC治療を躊躇せずに行い、赤血球や凝固因子を補うことが重要になります。この介入タイミングが遅れると、さらにDICが進行して悪循環に至ります。
産科危機的出血の時に必要な輸血量は、他科と比べても異常なほど多いです。私が今まで経験した中で最も多いのが、100単位(20L=20000mL分)でした。
6. 子宮動脈塞栓術
上記のことを色々とやっても出血が止まらず、もう子宮を摘出するしか術がないと考えられる症例に対して、「子宮動脈塞栓術」を行うこともあります。子宮を栄養する血管に塞栓物質を入れ、その部分の血流を下げることで出血を抑えるカテーテル治療です。
しかし塞栓術を施行した後の子宮が100%元のままかというとそういうわけではなく、今後の妊娠・出産に与える影響も指摘されています。
また、この処置が可能な施設が限られていることもデメリットの1つです。
7. 子宮摘出術
何をどう頑張っても出血が止まらない時は、子宮を摘出するしかありません。救命目的の手術であり、時間が勝負になるため、子宮を摘出するまで30分〜1時間で素早く終わらせます(普通の子宮全摘術は2〜3時間かかります)。
患者さんにとっては突然のことで喪失感に満ちてしまうこともありますが、生まれてきてくれた赤ちゃんと元気に過ごしてもらうため、何としても母体を助けようとする最後の手段なのです。
いかがだったでしょうか。お産後の何気ない処置から大量出血への対応まで、意外と知らないことも多かったのではないでしょうか。
改めて、お産って本当に命がけだなと思う日々です。
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こんにちは、ゆきです。産婦人科医として働いています。