いよいよ12月も後半戦。年末年始が近づいてきましたね。
以前、2回に分けて妊娠中の旅行・帰省に対するツイートをしました。
なんで今このようなことを言ったかというと、年末年始の当直中、旅行・帰省中の妊娠トラブルを診察しない年が無かったからです。全然珍しいことじゃないのです。
良い機会なので、産婦人科医がなぜ遠方への移動にNGを出すのか、少しお話ししていこうと思います。
目次
1. 妊婦に安定期はない
妊娠16週頃からを安定期と呼ぶようですが、「安定期」は医学用語ではありません。少なくとも、産婦人科医で”安定期だから〜”といった表現をする人はいないと思います。
妊娠5ヶ月頃は、胎盤が完成する時期にあたります。そのため流産のリスクが減ったり、つわりが軽快したりしやすいのは事実です。妊娠16週を過ぎた妊婦さんは、妊娠悪阻や初期の出血などの不安を乗り越え、1つの山を超えたすごい人です。
しかし、「安定期だから何も起きない」と誤解してもらうと困ります。私たちは日々の臨床で、妊娠16週以降でも様々なトラブルを経験しています。例えば破水、死産、切迫流早産、常位胎盤早期剥離など。これらはどんな週数でも起き得ます。安定期に入るとリスクは下がりますが、妊婦さんである以上、“ノーリスク”ではないのです。
2. マタ旅って本当に”今”必要ですか?
マタニティ旅行=マタ旅。「マタ旅」とGoogleで検索してみると、旅行会社発信の記事が多い印象です。
- 夫婦2人の最後の思い出作りをしたい
- 育児が始まったらしばらく旅行に行けなくなるしな
- 妊娠中の旅行なんてSNS映えする!
そんな声も聞こえます。芸能人やインフルエンサーがメディアでマタ旅の様子を発信しているのをみて、憧れる人もいることでしょう。
しかし、産婦人科医としての視点からお話しすると、お勧めしません。
先生、妊婦健診でも問題ないみたいなので、旅行に行こうと思っているんですけど許可もらえますか?
遠方の場合は許可は出せません。
何かあったときに、こちらにすぐ受診できる距離にしてください。
妊婦健診中も度々聞かれますが、我々が快く送り出すことはないと思っていただいて構いません。
マタ旅の経験者の声や記事をみてみると、良い気分転換になったとか、一生涯の思い出が出来たとか、そのような良い面がたくさん書いてあります。ただ、いずれも結果論なのです。
何も起きずに無事に旅行が終わったからそのような感想を抱くのであって、もしそれで後戻りの出来ない何かが起きてしまったらと考えると、私は結構怖い綱渡りをするなと感じてしまいます。
3. 旅行先でのトラブル色々
1. 前期破水
どの週数でも破水することがあります。破水したら分娩まで入院です。
治療方針は週数によりますが、旅行しているくらいですのでほとんどが早産期。できる限りお腹の中にいて欲しい時期ですが、感染リスクもあるので2週間程度の妊娠延長しか見込めないことも多いです。
もし仮に「安定期」である16〜20週で破水し、羊水流出が止まらなかったら。産婦人科医からは、その妊娠を諦めざるを得ないと説明を受けるでしょう。
2. 切迫流早産→流産・早産
旅行中はどうしても活動範囲が広がります。無意識のうちにたくさん歩きますし、楽しくて夢中になって自分の身体からのサインに気付けないことも多い。
そのため観光地で、あるいはふっと落ち着いたホテルや旅館先で、性器出血やお腹の張りを自覚される妊婦さんがいらっしゃいます。
病院を受診して頚管長が短いと判定されたり、血腫が見つかったりしたら、安静加療目的に入院です。症例の多くは数週間単位の長期になることが予想されます。
また、そのまま分娩になってしまう可能性も想定されます。
妊娠22週未満で生まれた赤ちゃんは、残念ながら外界で生きることが出来ません。妊娠22週以降であっても、早産期に生まれた赤ちゃんは出生後に集中治療を受ける必要がありますし、場合によっては後遺症・合併症を残す結果になることもあります。
3. 常位胎盤早期剥離などの致死的疾患
先のTweetをしたら、このような引用RTを届けて下さった方がいました。非常に悲しい転帰ですが、印象深いと思いますので掲載します(許可は頂いています)。
TDL近くの病院に勤めていた先生から言われた事が忘れられない。
「安定期だからと遊びに行って胎盤剥離した人が運ばれて来たけど、母子共に死亡。数時間前まで家族で楽しんでたのに、お父さん1人遺された。そうした人は実際居るから、後悔するから遠出は控えてね」
…先生は続けて、こう仰っていました。
先生「お母さんは後悔してないよ」
私「…え?(どういうこと?)」
先生「赤ちゃんが亡くなったのを知らないまま死んじゃったから、後悔することが出来なかったんだよ。」
御家族の事を思うととても胸が締め付けられる思いでした。
常位胎盤早期剥離もいつ起きてもおかしくない疾患です。
東京ディズニーランド(TDL)のような人気施設であればアトラクションに乗るのにも立って長時間待つ必要がありますし、人混みが多いと誰かとぶつかって転倒してしまうこともあるでしょう。
何かあってから、すぐに病院を受診できないことも多い。
命を失ってしまってからでは、後悔すら出来ません。
4. NICUでの長期加療
1〜3のような疾患を頑張って加療して、仮に出先で出産まで至ったとしましょう。
早産期だったり、具合が悪いサインがあったりした場合、赤ちゃんはNICUと呼ばれる新生児集中治療室に入院になります。出生週数によりますが、数週間〜数ヶ月単位の長期加療です。この間、お母さんは毎日搾乳をし、毎日通院し、不安な日々を送ることになります。
旅行先だと、夫や実家などの支援が得られないことも多いでしょう。そうでなくても産後はメンタルの不安定が心配な時期。1人で対応できるのか、よく考えてもらいたい所です。
5. 海外旅行では金銭面のトラブルも
今年はさすがに海外旅行をする人は少なかったと思いますが、普段であれば意外といらっしゃいます。気軽に飛行機に乗って海外に旅行する妊婦さん。
飛行機での遠距離移動は、お腹が張るリスクが高いです。
言葉が思うように伝わらない恐怖や、お金の問題もあります。
もし海外の病院で診察や治療を受けるとなると、日本の保険がきかないため、莫大な治療費を払うことになる可能性があります。それは、時に数十万〜数千万円に及ぶことも。
現在、妊娠22週以降の妊婦さんが加入できる海外旅行保険はありません。
4. 知らない病院で周産期管理をするリスク
もう1点。医療者視点からお伝えしておきたいことがあります。
それは、他院の妊婦さんの周産期管理はリスクが高いということです。
今年も、旅行先で破水して早産になった妊婦さんを担当したり、コロナの影響で他院の分娩が停止したため、多数の妊婦さんを受け入れたりしたりしました。その経験からお伝えします。本当にリスクです。
まず、情報が少ない。他院で行った検査結果、感染症の有無、エコーでの赤ちゃんの推定体重の推移、超音波スクリーニングの結果など。妊婦健診で積み上げていく情報が無いというのが怖いです。
例えば何らかの異常が見つかった時、それが以前からなのか、最近急に出てきたものなのか、そういったことが分からないと致命的な判断ミスを犯してしまう場合があるのです。
セミオープンシステムだとそういった面でしっかりとした連携が取れているので問題ないのですが、全く見知らぬ妊婦さんが飛び込みで来た時は、正直かなり構えます。
また、今年はコロナの影響もあります。常に、”もしこの妊婦さんがコロナ陽性だったら”といった姿勢で診療しています。自施設をなんとか分娩停止にしてはいけない、という強い使命感があるからです。
世界中に蔓延しているウイルスですし、今となっては感染すること自体はどうしようもないことだと思います。しかしそれを広げないようにするために、妊婦さん自身の心がけも大切にしてもらいたいと思うのです。
5. 今年は帰省も控えめに
今まで私は、落ち着いている妊婦さんに対しては、あまりにも遠方で無ければ帰省はしても良いとお伝えしていました。
旅行先と違って、何かあった時に実家の手助けが得られるわけですし、帰省のメリットもあると思っていたからです。
ただ、今年は帰省も控えましょう。
妊婦さんがコロナにかかると重症化しやすいと考えられています。使用できる治療薬も限られます。コロナ陽性の状態で産気づくと、帝王切開になってしまう施設も多いです。母児同室も出来ません。
ストレスが溜まるし、鬱々とした気分でお辛いのはよく分かるのですが、後悔のない出産にするために、1人1人が意識を高くもつ必要があります。
もちろんそれは妊婦さんだけではありません。周囲が妊婦さんを支え、理解する環境を作ることが大切です。
6. それでもどうしてもと言うのなら
色々とリスクについてお話ししましたが、それでも旅行や帰省をする方はいらっしゃると思います。個々人の考え方なので、無闇に否定はしません。
ただ自己責任とはいえ、産婦人科医としては無事に帰ってくるまで心配なのです。せめて、次のお願いだけは聞いてください。
- 行くとしても近場で(長距離移動はリスク)
- 行く前に必ず担当医に確認を
- 体調が悪くなったら無理をしない
- 歩きすぎない
- 人混みは避ける
- 母子手帳・健康保険証は必ず持参
- 妊娠中に施行した検査結果も必ず持参
- 宿泊先周辺で24時間対応できる病院を探しておく
何かあった時にすぐにかかりつけ医に駆け込める距離の気晴らし程度で留めておいて欲しい所ですが、どうしても離れたところにいきたいというなら、それなりの準備はしておきましょう。
それが赤ちゃんと妊婦さんのためです。
産婦人科医の視点から、妊娠中の旅行と帰省についての私見を書いてみました。私は病院にいるので、「何かあった人」しか見ていないからかもしれませんが、やはり否定的な立場になってしまいます。
早産期に破水してしまい、赤ちゃんに重篤な後遺症が残ってしまった症例を知っています。
突然出血して流産になり、赤ちゃんとお別れになってしまった症例を知っています。
超緊急帝王切開術をしたけれど、間に合わずに赤ちゃんが亡くなってしまった症例を知っています。
そんな症例の時に1番悲しい思いをするのは、妊婦さん自身なんです。もうこれ以上、悲しい思いをしている妊婦さんは見たくないです。
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こんにちは、ゆきです。産婦人科医として働いています。